簡単に言えば、
世の中の全てのことは「まやかし」だ
と思うのです。
「思う」というよりも、「気がつく」「腹落ちする」という表現の方が伝わるかもしれません。
「まやかし」とは
禅における「無」や吉本隆明氏の「共同幻想」の考えと近いです。
「無」といえば何も無い事を示します。
「共同幻想」といえば皆で幻想を抱いているということです。
でも、私的には「まやかし」なのです。
つまり、自発的なことから始まるのでは無く、誰か(外的要因)によって、「まやかされている」のです。
何に「まやかされている」のか?
それは、親の教育かも知れませんし、義務教育なのかもしれません。
一番わかりやすく「まやかし」と感じるのは広告です。
心理学や行動学を用いた広告は、洗脳といっても過言では無いと思います。
社会形成において、人を行動させているのは「まやかし」なのではないでしょうか。
ブランド品などの分かりやすいものだけで無く、安全、宗教上の考え方、法律、楽しいこと、モノの真理なども「まやかし」だと思うようになりました。
「まやかし」が原動力になって、行動選択に影響し、行動力を生んでいるのです。
「まやかされている」から生きられる
すべてがまやかしであるという事を禅では、「無」として表現し、
「本当は何も無いのである」
ということを伝えたのでは無いでしょうか。
たぶん、どんな生活をしていても、悩みはあるのです。
悩みは無くならない
若くても、健康であっても、贅沢ができていても、リア充だったとしても悩むようにできている。
それが人間なのです。
自分の悩みが無ければ、地球の裏側の人の心配をする。
隣に住んでいる人の方が、悩んでいるかもしれないのに、それは見えない。
さらに、「本当に悩んでいるのは自分のこと」ということに気がつかない場合も多いです。
それはなぜか、悩むから知恵を使って進化したのです。
そうして生存競争に勝ち、生き残ってきた今があるのです。
価値観の違いとは
人それぞれ違うのは、価値観という「まやかされ具合」が違うからです。
価値観が異なると、行動選択が異なったり、成功という状況が異なったりします。
「共同幻想」の中で、自分が異なっていると思うと、辛くなります。
しかし、そもそも、すべてが「まやかし」なので正しい価値は無いのです。
もし、正しい価値があるとすれば、自分が正しいと思う事だけです。
悩みから救われる方法(まとめ)
それらの悩みから救われる方法として、すべてを「まやかし」と考えるわけです。
そうすると、お金で悩んでいても、異性関係で悩んでいても、仕事で悩んでいても、健康に心配があっても、救われるのです。
真理や生きることや死ぬことなど、人それぞれに定義しているだけなのです。
もっとも基本的な理解として、
「人は産れて成長し老化して死ぬ」
と思っていますが、そういう流れでは無い人もいるかも知れません。
死んだあとに、どうなっているか分からないわけですから、死んでいないのかも知れません。
寝ただけかもしれませんし、輪廻転生しているだけかもしれません。
物事は捉え方次第なので、真実なんて何も無いのです。
そこから、
すべては「まやかし」なのだから、人生を楽しんだ方が良い。
と私は思っています。
そう考えると、すべてのことは小さく思えますし、心が軽くなります。